こんにちは、横山です。
さる8月20日磐田市民会館「かたりあ」にて『緑十字機不時着80年記念式典』が行われ、
弊社竹原部長が出席してまいりました。
私も全くと言っていいほど知らなかったのですが、地元であり、もっと言えば父親の実家でもある磐田市鮫島にある、その名の通り「鮫島海岸」に太平洋戦争の終わりを告げるため飛行していたこの緑十字機が何らかのトラブルで不時着したそうです。
この飛行機には、なんと戦争の「降伏文書」なる超重要な書類を送り届ける任務がなされていて、落ちちゃってる場合ではなかったとのことです。(早く届けないと、日本がもっと攻撃を受けてしまうことになってしまったようです)
それでも、地元住民の方々の協力のもと短時間で処理することができ、終戦が早く訪れることとなったそうです。
磐田市でもこのことを語り続けねばならぬと、市長もこの式典に参加し「広報いわた」にも巻頭特集で数ページにわたりこのことを市民に広めておりました。
話は戻り、なぜ、弊社竹原が参加したかというと、彼は、数年前に磐田市内で起きた豪雨災害による災害復旧のボランティアとして豊岡地区にて猛暑の中、人力での災害復旧を買って出た、好青年ならぬ好おじさんなのであります(^^;)
そんな彼と作業を共にしたのが、この「緑十字機不時着」の語りべとなっているM氏であり、そのM氏のお誘いを受け参加させてもらった次第であります。
会場は当時を知る人たち、実際、関わった方々、ご親族より語り継がれたこのことをまた次世代に語り継ぐべきと活動されてる方々等、1500席ある会場ですが満席だったそうです。
何も知らなかった私ですが、現地在住だった父にこっそり話を聞いたところ、「色んな意味で戦争とは・・・」といった感じで、感じる人によって、それぞれの意見があるんだなとも思いました(~_~)
当日の会場の雰囲気↓↓↓

個人的には「戦争」=「良くないこと」と理解しておりますので、生意気を言うようで怒られるかもしれませんが、戦争なんてろくなことが無いから、今後も絶対やったらだめだよという意味も込めて、もっと、もっと当時良くなかったことを伝えるべきなのでは。とも思いました・・・。